2002-04-02 第154回国会 参議院 環境委員会 第5号
それから、もう一点は、先ほど申し上げました東斜面の登山道の再閉鎖という問題になるわけでありますが、その結果によってはそういうことも視野に入れて、この登山道については是非、これ以上状態が悪くなるようであれば閉鎖をも含む選択肢も是非考えていただきたい。
それから、もう一点は、先ほど申し上げました東斜面の登山道の再閉鎖という問題になるわけでありますが、その結果によってはそういうことも視野に入れて、この登山道については是非、これ以上状態が悪くなるようであれば閉鎖をも含む選択肢も是非考えていただきたい。
この湧水群は、富士山の東斜面に降った雨や雪解け水が約四十キロ離れた清水町の市街地に忽然とわき出しているもので、富士山周辺では最大規模の湧水群であり、昭和六十年には環境庁の名水百選に選定されております。 湧水群の水量は、近年減少傾向が見られるものの、現在でも日量約百万トンと極めて多く、静岡県東部地域の飲料水や工業用水等に利用されております。
火砕流の予測についてでございますけれども、現在は東斜面の第十一溶岩ドームが成長しておりますので、ここから北東方向に火砕流が流下しております。ここしばらくはこの方向の火砕流が続くものと考えられますので、警戒が必要であろうと考えでございます。
桜島の東斜面の黒神川でございますけれども、特に軽石等の火山噴出物の流出が多いことから、砂防ダム等を施工して、災害防止にずっと努めてまいったところでありますけれども、昭和五十三年からは、付近に小学校がございます、それから集落もございますので、そこの安全を確保するという必要もありまして、導流堤等の砂防工事を実施してまいってきたところであります。
江副にとってはどうしてもこのセカンド安比、東斜面が欲しかったんです。なぜかといえば、既にオープンしております安比高原スキー場というのは前森山の北側にあります。ですから、西風、シベリアのあれがばあっと吹いてきましてリフトがとまるということもあるんですね。ところが、東側になりますとこの風は影響がないんです。つまり、リフトをオールスキーシーズン使える、こういう利点がある。どうしても欲しかったんです。
これは前森山といいまして、それの東斜面の方です。その隣は、江副社長が四八%の株を持っている、というよりも四九・七%と言った方がいいと思うんですけれども、その子会社があとの一・七%を持っていますから、第三セクターというけれども半分の株は江副社長が持っているわけですね。その所有する安比高原スキー場の隣に県の観光開発公社がスキー場を建設しようとして五月に申請をしたわけです。
南地獄谷の方は、いわば赤倉山のカルデラ地帯にあります泉源地帯でございまして、ここでいわゆる温泉性の地すべりが起きたわけでございますが、今回の崩壊の起きました個所は、むしろ赤倉山の外輪山であります妙高山の東斜面、この部分に起きました一種の土砂崩落、場所も約一キロぐらい離れておりまして、地形的にも大分違っております。
この災害は今回赤倉山の東斜面、場所は通称郷田原というところでございますけれども、ここで五月の十八日の午前六時二十三分にいまお話しのとおり約二十四万五千立米の土砂が崩壊をした。で、第二回午後一時四十分に約六万立米、合わせまして三十万五千立米の土砂が崩落をしたというふうに見ております。
青森県から利根川に至る、あの奥羽地方の東斜面の流量はこれ以下なんですよ。それだけのものがその原子力発電所から海に排出され、それが六度ないし七度高いという。やがてはさめるだろうと諸君は考えるかもしれないが、さめるためには気象に変化が生ずる。公害どころの問題じゃない。こういうことは、いまどきは中学生でもわかることなんです。
東寄りの風が加わりますと、梅雨前線のときには西寄りの風ですから、西寄りの斜面のほうがわりあい多いのですが、台風の場合には東斜面のほうが強くなる。風向によりまして非常に分布が違ってくる。
○内山説明員 東斜面につきましても、正式の報告と申しますより、県からの情報によりまして承知しておりますことは、縄文時代の住居坑が四カ所、それから炉跡が四カ所、古墳時代の住居跡が二カ所検出されたという点を一応知っております。
○卜部委員 いまあなたはそこに地図を持っておられるからおわかりかと思うのですが、南斜面といい、東斜面といい、その距離というものはごくわずかなものですね。これはここにありますように南貝塚、北貝塚、これは南斜面と東斜面、これだけの範囲内ですね。しかしながら、その古墳時代の住居址が出た、土器が出た、それが一方にあっても、その下に積み重ねられておる土器は縄文時代の土器であるということの報告はないのですか。
ここらのところが、やはりもう少し琉球政府と相談をいたしまして、一番水に近いところがそこの海面でございますので、そのあたりを若干埋め立て等について相談をし直していただくか、あるいは、反対側の東海岸の大浦湾を寄航港とする、南のほうに下った海岸一帯を埋め立てて、そして大体福地ダムで十二万トン、塩屋湾で、工事費は別といたしまして、これが可能であるとすれば供給能力は十二万五千トン、さらに福地ダムの北のほうの東斜面
その間、工科大学を建設する予定地であるとか、あるいは観光施設だとか娯楽施設だとかいろいろな希望があったやに伺っておりますけれども、これは現状変更が認められないと判断された結果かどうか知りませんが、要求内容を変えまして、二の岡、三の岡の東斜面を削りまして、そこに京都市内から約十カ寺院を移転して、岡全体を寺院有にして保存をはかるというような計画を示してきたのでございますが、終局には昭和四十三年八月、文東建氏