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13件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1995-02-15 第132回国会 参議院 環境特別委員会 第2号

この湧水群は、富士山東斜面に降った雨や雪解け水が約四十キロ離れた清水町の市街地に忽然とわき出しているもので、富士山周辺では最大規模湧水群であり、昭和六十年には環境庁の名水百選に選定されております。  湧水群の水量は、近年減少傾向が見られるものの、現在でも日量約百万トンと極めて多く、静岡県東部地域飲料水工業用水等に利用されております。

大渕絹子

1990-06-15 第118回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第5号

桜島の東斜面の黒神川でございますけれども、特に軽石等火山噴出物の流出が多いことから、砂防ダム等を施工して、災害防止にずっと努めてまいったところでありますけれども、昭和五十三年からは、付近に小学校がございます、それから集落もございますので、そこの安全を確保するという必要もありまして、導流堤等砂防工事を実施してまいってきたところであります。  

松下忠洋

1989-03-07 第114回国会 参議院 予算委員会 第4号

江副にとってはどうしてもこのセカンド安比東斜面が欲しかったんです。なぜかといえば、既にオープンしております安比高原スキー場というのは前森山の北側にあります。ですから、西風、シベリアのあれがばあっと吹いてきましてリフトがとまるということもあるんですね。ところが、東側になりますとこの風は影響がないんです。つまり、リフトをオールスキーシーズン使える、こういう利点がある。どうしても欲しかったんです。

下田京子

1988-12-07 第113回国会 参議院 税制問題等に関する調査特別委員会 第6号

これは前森山といいまして、それの東斜面の方です。その隣は、江副社長が四八%の株を持っている、というよりも四九・七%と言った方がいいと思うんですけれども、その子会社があとの一・七%を持っていますから、第三セクターというけれども半分の株は江副社長が持っているわけですね。その所有する安比高原スキー場の隣に県の観光開発公社スキー場を建設しようとして五月に申請をしたわけです。

山口哲夫

1978-05-31 第84回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第16号

南地獄谷の方は、いわば赤倉山カルデラ地帯にあります泉源地帯でございまして、ここでいわゆる温泉性の地すべりが起きたわけでございますが、今回の崩壊の起きました個所は、むしろ赤倉山の外輪山であります妙高山東斜面この部分に起きました一種の土砂崩落場所も約一キロぐらい離れておりまして、地形的にも大分違っております。

角道謙一

1978-05-26 第84回国会 参議院 災害対策特別委員会 第9号

この災害は今回赤倉山東斜面、場所通称郷田原というところでございますけれども、ここで五月の十八日の午前六時二十三分にいまお話しのとおり約二十四万五千立米土砂崩壊をした。で、第二回午後一時四十分に約六万立米、合わせまして三十万五千立米土砂崩落をしたというふうに見ております。

角道謙一

1974-07-11 第72回国会 衆議院 農林水産委員会 第44号

青森県から利根川に至る、あの奥羽地方東斜面の流量はこれ以下なんですよ。それだけのものがその原子力発電所から海に排出され、それが六度ないし七度高いという。やがてはさめるだろうと諸君は考えるかもしれないが、さめるためには気象に変化が生ずる。公害どころの問題じゃない。こういうことは、いまどきは中学生でもわかることなんです。

米内山義一郎

1971-08-11 第66回国会 衆議院 建設委員会 第2号

卜部委員 いまあなたはそこに地図を持っておられるからおわかりかと思うのですが、南斜面といい、東斜面といい、その距離というものはごくわずかなものですね。これはここにありますように南貝塚北貝塚、これは南斜面東斜面これだけの範囲内ですね。しかしながら、その古墳時代住居址が出た、土器が出た、それが一方にあっても、その下に積み重ねられておる土器縄文時代土器であるということの報告はないのですか。

卜部政巳

1970-04-24 第63回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第7号

ここらのところが、やはりもう少し琉球政府相談をいたしまして、一番水に近いところがそこの海面でございますので、そのあたりを若干埋め立て等について相談をし直していただくか、あるいは、反対側の東海岸の大浦湾を寄航港とする、南のほうに下った海岸一帯を埋め立てて、そして大体福地ダムで十二万トン、塩屋湾で、工事費は別といたしまして、これが可能であるとすれば供給能力は十二万五千トン、さらに福地ダムの北のほうの東斜面

山中貞則

1969-02-27 第61回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第4号

その間、工科大学を建設する予定地であるとか、あるいは観光施設だとか娯楽施設だとかいろいろな希望があったやに伺っておりますけれども、これは現状変更が認められないと判断された結果かどうか知りませんが、要求内容を変えまして、二の岡、三の岡の東斜面を削りまして、そこに京都市内から約十カ寺院を移転して、岡全体を寺院有にして保存をはかるというような計画を示してきたのでございますが、終局には昭和四十三年八月、文東建

玉置一徳

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